私の受験時と現在では、時代背景も入試制度も異なるので、あくまで参考になれば幸いです。

公立受験は、現在と同じ「一発」勝負でした。併願(優遇)という制度がなく、私立は「滑り止め」といって、学力検査で点数をしっかり獲れないと合格できませんでした。
002私は公立志望でした。4人兄弟の長男で、親に経済的な負担をかけたくないという思いからでした。

中3の夏。髄膜炎という病気に罹り、約2週間入院しました。その後も頭痛や吐き気といった症状は続きました(高校時代まで悩まされました)。ただ言い訳にしたくないので、夏に勉強できなかった分を取り返そうと必死に頑張りました。

迎えた2学期の期末テスト(現在でいうと後期中間テスト)。気持ちは集中していたので、症状は気になりませんでしたが、得意の英語のテストで異変が起こりました。試験中、突然、腹痛に襲われたのです。

プレッシャーではなかったと思いますが、想定外の問題が出て、手が止まり、思考が停止してしまったのです。頭の中が混乱してくるうちにお腹が痛くなった、のだと思います(今考えると、後回しにすれば良かったのですが)。腹痛は我慢できなくなり、途中退席してトイレに行きました。3分の1が空白という状況で、不本意な形で答案を返却しました。

技能教科の不出来もあり、これまでの私には考えられない内申点(当時は相対評価)で、公立受験には大きく不利な状況となりました。あまりの急落に、担任の先生から「何があったんだ?」と三者面談で言われ、母がそこで夏に入院していたことなどを話しました(それは関係ないので、言って欲しくなかったのですが)。

志望校選びは、難航しました。当時は学区制があり、自分の「内申点と、入試(例え満点近くとれても)」でどれだけ頑張っても、行きたい高校は無理があり、学区外の受験しかありませんでした(学区内の生徒より、ハードルは高いです)。

いくつか学校見学をした中で、S高校さんが、突然の訪問にも関わらず見たい施設等を案内してくれ、部活動の様子も見学させてくれ(剣道部。正直、強くありませんでしたw)、その後「校長先生に会わないか」と言われ、何が気に入られたのかVIP待遇をされました。
終わったことは仕方がない、この高校を受験しよう。ここで頑張って、志望する大学進学を目指そうと自ら言い聞かせて、受験勉強に励みました。
004滑り止め(私立・現在では主に併願推薦)の話です。前述の通り、普通は少しランクを落として受験するのが常です。ただ、私は公立受験に関しては、内申点が低いだけで筆記試験では負けない自信があったので、自分よりランクの高い高校を2校受験することにしました。

私立は、英数国のみで、私の苦手な理科がありません。その時の自身の学力では合格は難しかったですが、難問に挑戦するたびに、モチベーションが上がってきました。並行して第一志望の公立受験の勉強をする逆転現象になってきました。私にとって私立受験は、滑り止めではなかった、ということです。

私立の1校目の受験。その日、今度は熱を出し、受験会場には赴きましたが、力を発揮できずに帰ってきました。しかし、試練は私を鍛えてくれました。

私立2校目。会心の出来でした。その時、私の心はとても強くなっていました。自分でも成長しているのが感じ取れました。これが受験というものか、と感じました。結果、合格を勝ち取ることができました。

しかし、この私立受験はいわゆる記念受験。入るつもりはありませんでした。経済的な問題で親に迷惑をかけることはできません。

ところが、親がこの私立校に入るよう勧めたのです。心は揺れました。内心、入りたい気持ちはありました。公立高に行くよりも、目標の大学進学に近いからです。結果的に、出願していた公立S高校を棄権するというウルトラCで、私立高校に進学しました(現在の制度でいうと、第一志望公立・私立併願なし・一般受験(オープン入試)2校で、決して真似はしないでください)。

この時ほど、両親に感謝の念を抱いたことはありません。私立は学費以外にも費用がかかります。私の将来を考え、経済的な援助をしてくれた父、毎日お弁当をつくって明るく送り出してくれた母。病気になった時も、どれほど心配をかけたことでしょう。弟・妹にも、私の我が儘を許してくれたことに感謝しなければなりません。

受験は、試練です。勿論、勝算があるかどうか判断することは重要です。100%負けると分かっている戦には出陣するべきではありません。不合格の傷はそう簡単に癒えるものではありませんし、その後の学習姿勢にも影響を及ぼす可能性があちます。
しかし、大切なことは自身に立ちはだかる壁に立ち向かうか否かです。この受験体験は、今も自分の財産です。
勝つよりも、負けないこと。受験生たちに伝えたいことです。

see you again!(*^-')/~☆Bye-Bye♪