前回、「継続だけが取り柄だった」と書きましたが、途中で挫折した経験もあります。
30歳を過ぎた頃に、ギターを学び始めました(クラシックギター)。3,4年で頓挫しました…。

私のとっての継続した時間とは、習得するまでにかかった時間でもあり、長いということは、私自身が不器用だったことが一因です。ですので、時間は他者と比較してどうこうという問題ではないと思います。

008初めは、愉しかったのです、ギター。週に1回マンツーマンで教わり、先生からも楽しく続けられるよう励まされ、いつかはいろいろな方に演奏を聴いてもらえたらと努力を続けました(生徒たちにも)。

クラシックギターは、「一人バンド」と言われるだけあり、やってみると難しいもので、知るにつれ、遙かに険しい道のりであると気づき始めました。

まず限界を感じたのは、弦の弾き方です。高音は人差し指・中指で弾くのですが、いくら練習しても上手くタッチができず、きれいな音が出ないのです。大人になってから始めたこともあり、私の指や手首は硬くなっていて、相変わらず手先が不器用だと認識しました。

音符ですが、四線譜くらいは読めるのですが、それをはみ出た音符を暗記するよう言われ、これはきつかったです(笑)。初めは「ド」や「シ」をふっていましたが、楽譜が長くなるにつれ限界があり、「根性だ」と言われましたが、じんましんができそうでした(笑)。

001ギターもいろいろあるのですが、クラシックギターを弾きたいと思ったきっかけは、「カヴァティーナ」という曲を生で聴いたことです。しかし、初心者にいきなり演奏できる訳がありません。基礎を学ぶために、テキストをひたすら練習したのですが、「これは十年かかる…」と現実が見えてきたのです。

それでも、自宅練習を続けたのですが、挫折せざるを得ない決定的な要因が、ある日の先生の言葉でした。

いつも通り、レッスン冒頭で自宅練習の成果を示したところ、「そんな弾き方では、いつまでたっても上手くなりませんよ」と言われました。

弦への指の入れ方(タッチ)は、自身も悩んでいただけに、先生もたまたまご機嫌斜めだったかもしれませんが、すごくショックでした。それからは、全ての楽譜や課題が重圧になり、趣味として始めたことが、いつしかストレスになっていきました。

同じ指導者としては、すごく勉強になりました。人はこうやって傷ついて、辞めていくのかと身をもって知りました(笑)。私どもは、「学習」という生涯にわたって身に付けるべき習慣を指導するのが仕事ですので、

学問に依らず、「学ぶ姿勢」を子どもたちに植え付けさせたいと考えております(受験が終わったから、終了というのは、塾の在り方としては疑問に思います)。人は、生きている限り、学ぶのです。学ぶ歩みを止めてしまった瞬間、成長がストップします。たとえば、過去の経験だけを頼りに指導する人間は、指導者としては失格です。

些細な一言だったかもしれませんが、当時の私には絶望的な一矢でした。おそらく、それだけ真剣に取り組んでいたからだったと思います。いつしかギターを弾くのが嫌いになってしまいました…。何のために始めたのかという目的も、どうでもよくなったのです…。たまたま仕事が忙しくなり、ギターを弾く時間も惜しくなっていました。

学問も、教科等によっては人それぞれ向き不向きはあると思います。共に歩むパートナー次第で、克服できるか否かも変わってくると思います。子どもたち一人ひとりをしっかり洞察し、「希望」へ導く使命を忘れてはならないと、自身の経験から強く痛感しております。

ちなみに指導して頂いた先生のことは、今でも尊敬しており、それまで才能のない人間を必死に惹きつけてくださったことには大変感謝をしております。

学習指導は、学校はもとより、さまざまな塾で行われていますが、優れた指導者に恵まれることで想像を遙かに超える才能が開花する瞬間を、これまで幾度も立ち会ってまいりました。

学力向上は至上命題として、子どもたち自身も気づいていない未知の可能性を開拓させられるよう、講師一同、指導者として、何より人間として日々成長して参る決意です。

see you again!(*^-')/~☆Bye-Bye♪

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