Hiro's Work Presented by 英数学院


神奈川県川崎市中原区新城(南武線・武蔵新城駅)にある進学・学習塾 英数学院で働くHiro(長江広紀)の日常や、さまざまな地域事情・受験情報をお贈りします。
また、塾生・保護者の皆様、卒業生へのメッセージも綴ってまいります!


英数学院では、通ってくださるお子様を、一生涯努力する人間に育ててまいります。誰もが無限の可能性を秘めています。しかし、その可能性を開くには努力が不可欠です。「生涯努力の人を育ててまいりたい」と職員一同、学習指導の根底に置いております。
まだ気づいていない「無限の自己の可能性」という大海原に、怯むことなく航海せよ

英数学院 神奈川県川崎市中原区新城5-9-25 TEL 044-788-7556 受付 平日午後2時〜9時  日・祝日お休み 土曜日:不定休
公益社団法人・全国学習塾協会(JJA)、全日本私塾教育ネットワーク(私塾ネット)、全国学習塾協同組合(AJC)の正会員塾です。 

Hiro's History

英数学院 http://www.eisugakuin.com は、超少人数クラス(10名以内)と個人指導(1:2)を併設する学習塾です。創立から51年を迎え、地域で最も老舗であり、小学3年生から中学3年生を対象に(個人指導には高校生も在籍)指導しております。高校受験、殊に公立高校進学を目指す生徒が数多く在籍しております。

英数学院では随時、無料体験を行っております(クラスは1ヶ月、個人指導は2時限)。小学生段階から、高校受験に矢印を向けた指導を行っており、数多くの進学実績を残してまいりました。集団個別方式の小学生英語クラス「のびジャン」や「かな理」(神奈川“入試対策講理科)も好評です。
目の前のことに全力で取り組む姿勢を育むことで、自らの使命を見いだし、将来社会で活躍できる人材の育成を目指します。

どうぞ私たちにお任せください!

私は不器用でした(カヴァティーナ)


前回、「継続だけが取り柄だった」と書きましたが、途中で挫折した経験もあります。
30歳を過ぎた頃に、ギターを学び始めました(クラシックギター)。3,4年で頓挫しました…。

私のとっての継続した時間とは、習得するまでにかかった時間でもあり、長いということは、私自身が不器用だったことが一因です。ですので、時間は他者と比較してどうこうという問題ではないと思います。

008初めは、愉しかったのです、ギター。週に1回マンツーマンで教わり、先生からも楽しく続けられるよう励まされ、いつかはいろいろな方に演奏を聴いてもらえたらと努力を続けました(生徒たちにも)。

クラシックギターは、「一人バンド」と言われるだけあり、やってみると難しいもので、知るにつれ、遙かに険しい道のりであると気づき始めました。

まず限界を感じたのは、弦の弾き方です。高音は人差し指・中指で弾くのですが、いくら練習しても上手くタッチができず、きれいな音が出ないのです。大人になってから始めたこともあり、私の指や手首は硬くなっていて、相変わらず手先が不器用だと認識しました。

音符ですが、四線譜くらいは読めるのですが、それをはみ出た音符を暗記するよう言われ、これはきつかったです(笑)。初めは「ド」や「シ」をふっていましたが、楽譜が長くなるにつれ限界があり、「根性だ」と言われましたが、じんましんができそうでした(笑)。

001ギターもいろいろあるのですが、クラシックギターを弾きたいと思ったきっかけは、「カヴァティーナ」という曲を生で聴いたことです。しかし、初心者にいきなり演奏できる訳がありません。基礎を学ぶために、テキストをひたすら練習したのですが、「これは十年かかる…」と現実が見えてきたのです。

それでも、自宅練習を続けたのですが、挫折せざるを得ない決定的な要因が、ある日の先生の言葉でした。

いつも通り、レッスン冒頭で自宅練習の成果を示したところ、「そんな弾き方では、いつまでたっても上手くなりませんよ」と言われました。

弦への指の入れ方(タッチ)は、自身も悩んでいただけに、先生もたまたまご機嫌斜めだったかもしれませんが、すごくショックでした。それからは、全ての楽譜や課題が重圧になり、趣味として始めたことが、いつしかストレスになっていきました。

同じ指導者としては、すごく勉強になりました。人はこうやって傷ついて、辞めていくのかと身をもって知りました(笑)。私どもは、「学習」という生涯にわたって身に付けるべき習慣を指導するのが仕事ですので、

学問に依らず、「学ぶ姿勢」を子どもたちに植え付けさせたいと考えております(受験が終わったから、終了というのは、塾の在り方としては疑問に思います)。人は、生きている限り、学ぶのです。学ぶ歩みを止めてしまった瞬間、成長がストップします。たとえば、過去の経験だけを頼りに指導する人間は、指導者としては失格です。

些細な一言だったかもしれませんが、当時の私には絶望的な一矢でした。おそらく、それだけ真剣に取り組んでいたからだったと思います。いつしかギターを弾くのが嫌いになってしまいました…。何のために始めたのかという目的も、どうでもよくなったのです…。たまたま仕事が忙しくなり、ギターを弾く時間も惜しくなっていました。

学問も、教科等によっては人それぞれ向き不向きはあると思います。共に歩むパートナー次第で、克服できるか否かも変わってくると思います。子どもたち一人ひとりをしっかり洞察し、「希望」へ導く使命を忘れてはならないと、自身の経験から強く痛感しております。

ちなみに指導して頂いた先生のことは、今でも尊敬しており、それまで才能のない人間を必死に惹きつけてくださったことには大変感謝をしております。

学習指導は、学校はもとより、さまざまな塾で行われていますが、優れた指導者に恵まれることで想像を遙かに超える才能が開花する瞬間を、これまで幾度も立ち会ってまいりました。

学力向上は至上命題として、子どもたち自身も気づいていない未知の可能性を開拓させられるよう、講師一同、指導者として、何より人間として日々成長して参る決意です。

see you again!(*^-')/~☆Bye-Bye♪

カヴァティーナ ←音が出ます

継続は力なり、について

という格言をよく耳にしますね。私自身も、この言葉をかけられた時の、嬉しい思い出があります。

継続が決してすべてではないことは承知の上で、私自身、取り柄が「継続」くらいしかないのです(笑)。

7歳のときに、剣道を始め、14年続きました。しかし、楽しい時ばかりではなく、それはむしろ一瞬で、費やした大半の時間は、陽の当たらない日々でした。その一瞬のために続けられたかというと、少し違います。

小学生の時は、同じ学年に強い子が多く、個人戦には出場するものの、毎回3回戦止まり。華である団体戦に道場を代表して選ばれることはありませんでした。
004中学で剣道部に入ると、さまざまな事情で1年生からレギュラーになりました。14年間の中ではキャリア的に最も輝いていた頃かもしれません。しかし、病気やけがに悩まされ、学業との両立も困難な時期がありました(部活動後にも道場通いしていました)。

高校時代は、名門校だったため、公式戦の出場は一度もありませんでした。上下関係が厳しく、「しごき」といわれるいじめも辛かったです。しかし、この頃の自分は、周りの仲間に恵まれ、人として随分成長させて頂きました。現在も、この頃の仲間との絆は切っても切れない関係です。

大学時代も、2年生まではBチームでした。ここでは、一足早く、社会勉強もさせて頂きました。この頃の話を仲間とすると、「辛かったけどたくさん学べて良かった」と皆口々に言います。3年生の時には人材難で(笑)、主将も経験させて頂き、リーダーとして自分らしさを出す大切さを学びました。皆の良さを引き出す工夫をしたり、出番に恵まれない部員を励ましたり、1年間自分のカラーを出すことができました。

小学校から通っていた道場の中で、剣道を最も長く続けた同期は、気がつけば他にいませんでした。師匠から「継続は力なり、だな」と褒められ、嬉しかったことは嬉しかったのですが、何を褒められたのかいまいちピンと来なかったのです(笑)。

勝負の世界なので、結果がすべてと言っても過言ではありません。私自身、満足したことなど記憶にありません。
それと、何年続けたからすごいという他者の評価があったとしても、私には目標の大会で結果を出した(優勝)とか、そういうことのほうが当時は大切だと考えていました。

046今現在、継続の価値とは、一つに「経験」に近いと考えています。若いときは、経験をとにかく欲していました。と同時に、「経験とは何か?」と常に考え、「環境を変えた回数なのか」、「変えれば比例して経験になるのか」など悩んだ時期もありました。

環境を変えたことが少ないから、「継続」という価値を与えられているが、継続とはそれだけなのか、どんな「力」になったのか。件名の格言を自答しているうちに、「経験」に至りました。

ただし、長く続ければ良いというシンプルな答えに落ち着いている訳でもありません。継続して、身につくことは非常に多く、物事や事象にも深く入ることができました。本質に迫るために必要だった時間のような気も致します。

継続するには、自分で状況を愉しくする工夫が不可欠でした。愉しくないと続かないですし、苦しい状況でも愉しみを見つける力も大事だと思います。ただし、環境が合わなかったりという状況を継続するのは、体調を崩したりしますので、それは良くありません。

自分次第です。決して無理をする必要はありません。この記事も、そういう趣旨ではありません。

剣道以外にも、継続してきた(している)ことはありますので、次回ご紹介させてください。長くなりました。
このブログも、その一つですよ。see you again!(*^-')/~☆Bye-Bye♪

爽やかな新年度をお迎え下さい!!

私の高校受験体験


私の受験時と現在では、時代背景も入試制度も異なるので、あくまで参考になれば幸いです。

公立受験は、現在と同じ「一発」勝負でした。併願(優遇)という制度がなく、私立は「滑り止め」といって、学力検査で点数をしっかり獲れないと合格できませんでした。
002私は公立志望でした。4人兄弟の長男で、親に経済的な負担をかけたくないという思いからでした。

中3の夏。髄膜炎という病気に罹り、約2週間入院しました。その後も頭痛や吐き気といった症状は続きました(高校時代まで悩まされました)。ただ言い訳にしたくないので、夏に勉強できなかった分を取り返そうと必死に頑張りました。

迎えた2学期の期末テスト(現在でいうと後期中間テスト)。気持ちは集中していたので、症状は気になりませんでしたが、得意の英語のテストで異変が起こりました。試験中、突然、腹痛に襲われたのです。

プレッシャーではなかったと思いますが、想定外の問題が出て、手が止まり、思考が停止してしまったのです。頭の中が混乱してくるうちにお腹が痛くなった、のだと思います(今考えると、後回しにすれば良かったのですが)。腹痛は我慢できなくなり、途中退席してトイレに行きました。3分の1が空白という状況で、不本意な形で答案を返却しました。

技能教科の不出来もあり、これまでの私には考えられない内申点(当時は相対評価)で、公立受験には大きく不利な状況となりました。あまりの急落に、担任の先生から「何があったんだ?」と三者面談で言われ、母がそこで夏に入院していたことなどを話しました(それは関係ないので、言って欲しくなかったのですが)。

志望校選びは、難航しました。当時は学区制があり、自分の「内申点と、入試(例え満点近くとれても)」でどれだけ頑張っても、行きたい高校は無理があり、学区外の受験しかありませんでした(学区内の生徒より、ハードルは高いです)。

いくつか学校見学をした中で、S高校さんが、突然の訪問にも関わらず見たい施設等を案内してくれ、部活動の様子も見学させてくれ(剣道部。正直、強くありませんでしたw)、その後「校長先生に会わないか」と言われ、何が気に入られたのかVIP待遇をされました。
終わったことは仕方がない、この高校を受験しよう。ここで頑張って、志望する大学進学を目指そうと自ら言い聞かせて、受験勉強に励みました。
004滑り止め(私立・現在では主に併願推薦)の話です。前述の通り、普通は少しランクを落として受験するのが常です。ただ、私は公立受験に関しては、内申点が低いだけで筆記試験では負けない自信があったので、自分よりランクの高い高校を2校受験することにしました。

私立は、英数国のみで、私の苦手な理科がありません。その時の自身の学力では合格は難しかったですが、難問に挑戦するたびに、モチベーションが上がってきました。並行して第一志望の公立受験の勉強をする逆転現象になってきました。私にとって私立受験は、滑り止めではなかった、ということです。

私立の1校目の受験。その日、今度は熱を出し、受験会場には赴きましたが、力を発揮できずに帰ってきました。しかし、試練は私を鍛えてくれました。

私立2校目。会心の出来でした。その時、私の心はとても強くなっていました。自分でも成長しているのが感じ取れました。これが受験というものか、と感じました。結果、合格を勝ち取ることができました。

しかし、この私立受験はいわゆる記念受験。入るつもりはありませんでした。経済的な問題で親に迷惑をかけることはできません。

ところが、親がこの私立校に入るよう勧めたのです。心は揺れました。内心、入りたい気持ちはありました。公立高に行くよりも、目標の大学進学に近いからです。結果的に、出願していた公立S高校を棄権するというウルトラCで、私立高校に進学しました(現在の制度でいうと、第一志望公立・私立併願なし・一般受験(オープン入試)2校で、決して真似はしないでください)。

この時ほど、両親に感謝の念を抱いたことはありません。私立は学費以外にも費用がかかります。私の将来を考え、経済的な援助をしてくれた父、毎日お弁当をつくって明るく送り出してくれた母。病気になった時も、どれほど心配をかけたことでしょう。弟・妹にも、私の我が儘を許してくれたことに感謝しなければなりません。

受験は、試練です。勿論、勝算があるかどうか判断することは重要です。100%負けると分かっている戦には出陣するべきではありません。不合格の傷はそう簡単に癒えるものではありませんし、その後の学習姿勢にも影響を及ぼす可能性があちます。
しかし、大切なことは自身に立ちはだかる壁に立ち向かうか否かです。この受験体験は、今も自分の財産です。
勝つよりも、負けないこと。受験生たちに伝えたいことです。

see you again!(*^-')/~☆Bye-Bye♪

中3になる時、決意したこと


もうすぐ中3になるなぁ…。受験もあるし、これまでのままでは不安だし、何かを変えないとなぁ…と14歳の私は漠然と考え、
本を読もう!と決意しました。

それまで、読んでいなかった訳ではないのですが、ミステリーなど享楽的な本ばかりだったので、今の時代にも引き継がれている名作(文学)に挑戦しようと思ったのです。

すぐに国語力に反映するとは思いませんでしたが、1年後に何かしら良い影響を及ぼせたらと、家にある本を、なるべく薄いものから読み始めました(中学に進学するときに、親が買ってくれた名作全集が本棚にあった)。
002私の中学時代は、現在ほど児童文学作品が少なかったと思います。読んでみて難しい本もありましたが、「ともかく最後まで読もう」とだけ決意しました。

「車輪の下」(ヘルマン・ヘッセ)、「路傍の石」(山本有三)、「友情」(武者小路実篤)、「伊豆の踊子」(川端康成)、「野菊の墓」(伊藤左千夫)…。他にも森鴎外、菊池寛、芥川龍之介、宮沢賢治、井上靖など。明治から昭和の作家が多く、表記や難しい語彙など多くの壁がありましたが、登山だと思って頂上まで登ることを目標に課しました。

現在は多くの児童文学の旗手がおられますから、普段読書に慣れていない方は、森絵都(代表作「カラフル」)、重松清(同「とんび」)、あさのあつこ(同「バッテリー」)、梨木香歩(同「西の魔女が死んだ」)各氏の現代作品をお薦めします!(私が子どもの頃には、ありませんでした…。あったら、こっちを読んだでしょう。大人でも愉しめます)

001読み方は、人それぞれですが、1日の中の5分でも10分でも読める時間があれば充分だと思います。つづきから読めばいいのですから
私の始めた良書への挑戦は、夏を過ぎた頃まででした。本を読む時間さえなくなったからです。結果として、受験には好影響でした。名作とよばれるものは、古くから読み継がれているだけあり、心情描写が巧みで、登場人物に感情移入さえできれば愉しかったのです。入試問題をたくさん解くことになりますが、読解問題は全く苦になりませんでした。いつの間にか漢字やいろいろな知識も身につきましたし。国語には絶対の自信さえ生まれました。

この、ふとした決意は、思いもよらぬ結果にもなりました。受験が目的で始めた読書が、趣味になったことです。読んだ本の数だけ自分の知らない世界を知り、視野が広がりました。1冊読み終えた後のすがすがしさや達成感は、やみつきになりました。今も時間を見つけては読んでいます。
本を読む時間は、皆さんと同じで、ありません。自分で時間を作るのです。

落ち込んでいる時や、悩んでいる時にも、読書のお世話になりました。誰にも相談できないことも、本にはできました。まだ読んでいない名作や話題になっている本はたくさんあるので、残りの人生でいったい何冊読めるだろうという挑戦は今も続いています(新作も次々に生まれますし)。

以下は、近年生徒たちに薦めた作品で好評だった本です。参考になれば幸いです。

「キッチン」(吉本ばなな)
「夜のピクニック」(恩田陸)
「博士の愛した数式」(小川洋子)
「オルゴール」(中園直樹)
「蝉(せみ)しぐれ」(藤沢周平)
「神様のカルテ」シリーズ(夏川草介)
「ボッコちゃん」(星新一)

私は、元々英語が大嫌いでした…


こんなことを言うと、「嘘をつけ」と子どもたちに信じてもらえないのですが(笑)、英語ができなかったのです。

できなかったというより、嫌いで、やらなかった、が正解だと思います。

そもそも、私の入塾動機は、「中学に入るし、塾には入ったほうがいいのかな…」という曖昧なものでした。親から「入りなさい」とは言われませんでした。小学6年生の終わり頃です。

私が入ったのは、英数学院・子母口教室です。家から近かったので。


授業に参加すると、単語テストを毎回されました。しかし、私は周りの生徒とは違い、それまで英語未経験。他の子は、すでにいくつかの単語を教わっており、スタートダッシュの時点が違う訳です。
(そういう悲劇をなくすために、現在はさまざまなフォローをし、中学準備講座も設けております)

deskもpencilも書けません。だって知りません。「他のみんなはずるい。」となり、小テストで書けなかった単語を練習するのも嫌になりました。
「英語は、嫌いだ。僕には向いていない」心の中で自身にこう呟き、のんべんだらりと授業を受けていました。
P2230023そんな日が続いたある日、担当の講師に叱咤されました(今とは時代が違いますので、昔の話と思って読んで下さい)。ケチョンケチョンに言われ、頭に血が上りました。

「塾を辞めてやる」と思うより先に、「この先生を、いや僕をできないと思っている他の生徒たちも含め、全員ギャフンと言わせてやる!」と誓ったのです。

英数学院では、定期的に塾内テストが行われます。ここで全員をぎゃふんと言わせ、それから辞めてやる。私の密かな企みが始まりました(笑)。

真似してはほしくないのですが(笑)、授業中はこれまで通り、できない子を演じ続けました。学校から家に帰ると、(その頃学校から教科書をもらっていたので)ひたすら努力ノートに単語練習。教科書は全文丸暗記。

この姿は親にも見せてはならない。何かのきっかけで、塾の先生に勉強を頑張りだしたとばれないためです。自分だけのスキームなのです。


迎えた塾の定期テスト。成績上位者はベスト10くらいまで塾舎に掲載されるのですが、新城教室の並み居る「強豪」たちも抑えて、英語第一位!100点満点です(当時は今ほど塾は多くなかったので、かなりレベルの高い争いでした)。

掲示板の私の名前を見て、唖然とする友達…。「これ、どうしたの?」と言われても、シカト(死語?)です。してやったり。腹の底から笑いが込み上げてなりませんでした。性格、悪いですよね(笑)。

052驚いたことが、一つありました。苦手だった数学もランクインしていたことです。英語の貯金で、学年総合第一位となりましたが、「いつの間に数学ができるようになっていたんだろう」と小首をかしげました。

おそらく、この家庭学習の効果で、時間に対する集中力を養えたのだと思います。私のスキームは「英語で見返す」ですから、数学に関しては、塾の授業を受けていただけです(学校のテストではありませんから)。授業の「聞き方」や、問題を解く集中力が、自然と他教科に波及していたのだと思います。

その後…。学校のテストも、もちろん上手くいきました。満点を目指してやり遂げ(たかだか中1の最初の試験ですが)、目標を達成したという自信は大きかったと思います。細かなミスもなくなりました。

しかし順風満帆とはいきませんでした。満点も、学年総合1位も最初で最後でした。手を動かすことを止めてしまったら最後、私は平凡な子どもでした。特に、数学は次第に難しくなり、自分の力だけではどうにもなりませんでした。

ただ、勉強は「やった分だけ、(かなりの確率で)報われる」という原点をつくれました。後の受験にも、このときの経験が生かされました。


現在、何の因果か、私は塾の先生をやっております。述べました通り、私は決して「頭のいい子」ではありませんでした。ですから、どんな子たちにも無限の可能性があると信じ、何かのきっかけで大きく変わることもあると信じて、指導をさせて頂くことが信念になりました。

私がどれだけ才能のない子どもだったかは、千葉先生や角先生に聞いてください。きっと勇気をもらえますよ(笑)。

この記事は、「Hiro's History シリーズ」第一弾とさせて頂き、受験体験や学習のしかた、その後の人生(決して塾講師になるつもりはありませんでした)まで、お話させてください!

みんな、大丈夫。未来は希望しかないよ(^-^)/。
次回を乞うご期待!! (^-^)/
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