こんなことを言うと、「嘘をつけ」と子どもたちに信じてもらえないのですが(笑)、英語ができなかったのです。

できなかったというより、嫌いで、やらなかった、が正解だと思います。

そもそも、私の入塾動機は、「中学に入るし、塾には入ったほうがいいのかな…」という曖昧なものでした。親から「入りなさい」とは言われませんでした。小学6年生の終わり頃です。

私が入ったのは、英数学院・子母口教室です。家から近かったので。


授業に参加すると、単語テストを毎回されました。しかし、私は周りの生徒とは違い、それまで英語未経験。他の子は、すでにいくつかの単語を教わっており、スタートダッシュの時点が違う訳です。
(そういう悲劇をなくすために、現在はさまざまなフォローをし、中学準備講座も設けております)

deskもpencilも書けません。だって知りません。「他のみんなはずるい。」となり、小テストで書けなかった単語を練習するのも嫌になりました。
「英語は、嫌いだ。僕には向いていない」心の中で自身にこう呟き、のんべんだらりと授業を受けていました。
P2230023そんな日が続いたある日、担当の講師に叱咤されました(今とは時代が違いますので、昔の話と思って読んで下さい)。ケチョンケチョンに言われ、頭に血が上りました。

「塾を辞めてやる」と思うより先に、「この先生を、いや僕をできないと思っている他の生徒たちも含め、全員ギャフンと言わせてやる!」と誓ったのです。

英数学院では、定期的に塾内テストが行われます。ここで全員をぎゃふんと言わせ、それから辞めてやる。私の密かな企みが始まりました(笑)。

真似してはほしくないのですが(笑)、授業中はこれまで通り、できない子を演じ続けました。学校から家に帰ると、(その頃学校から教科書をもらっていたので)ひたすら努力ノートに単語練習。教科書は全文丸暗記。

この姿は親にも見せてはならない。何かのきっかけで、塾の先生に勉強を頑張りだしたとばれないためです。自分だけのスキームなのです。


迎えた塾の定期テスト。成績上位者はベスト10くらいまで塾舎に掲載されるのですが、新城教室の並み居る「強豪」たちも抑えて、英語第一位!100点満点です(当時は今ほど塾は多くなかったので、かなりレベルの高い争いでした)。

掲示板の私の名前を見て、唖然とする友達…。「これ、どうしたの?」と言われても、シカト(死語?)です。してやったり。腹の底から笑いが込み上げてなりませんでした。性格、悪いですよね(笑)。

052驚いたことが、一つありました。苦手だった数学もランクインしていたことです。英語の貯金で、学年総合第一位となりましたが、「いつの間に数学ができるようになっていたんだろう」と小首をかしげました。

おそらく、この家庭学習の効果で、時間に対する集中力を養えたのだと思います。私のスキームは「英語で見返す」ですから、数学に関しては、塾の授業を受けていただけです(学校のテストではありませんから)。授業の「聞き方」や、問題を解く集中力が、自然と他教科に波及していたのだと思います。

その後…。学校のテストも、もちろん上手くいきました。満点を目指してやり遂げ(たかだか中1の最初の試験ですが)、目標を達成したという自信は大きかったと思います。細かなミスもなくなりました。

しかし順風満帆とはいきませんでした。満点も、学年総合1位も最初で最後でした。手を動かすことを止めてしまったら最後、私は平凡な子どもでした。特に、数学は次第に難しくなり、自分の力だけではどうにもなりませんでした。

ただ、勉強は「やった分だけ、(かなりの確率で)報われる」という原点をつくれました。後の受験にも、このときの経験が生かされました。


現在、何の因果か、私は塾の先生をやっております。述べました通り、私は決して「頭のいい子」ではありませんでした。ですから、どんな子たちにも無限の可能性があると信じ、何かのきっかけで大きく変わることもあると信じて、指導をさせて頂くことが信念になりました。

私がどれだけ才能のない子どもだったかは、千葉先生や角先生に聞いてください。きっと勇気をもらえますよ(笑)。

この記事は、「Hiro's History シリーズ」第一弾とさせて頂き、受験体験や学習のしかた、その後の人生(決して塾講師になるつもりはありませんでした)まで、お話させてください!

みんな、大丈夫。未来は希望しかないよ(^-^)/。
次回を乞うご期待!! (^-^)/